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十日夜とは一体どんな日!?月見の行事?

日本の行事の一つに「十日夜(とうかんや、とうかや」と呼ばれる日があります。字体をみると日付と夜が付く所から旧暦の8月15日の「十五夜」や同じく旧暦の9月13~14日にかけての「十三夜」等の行事が脳裏をよぎった方もいるのではないでしょうか。

特に十五夜は中秋の名月と呼ばれる程の月見に適した行事ですので、十日夜も何となく月に関する行事を連想してしまいがちです。では、十日夜とは一体どんな日なのでしょうか。行事内容を見てみましょう。

目次

そもそも十日夜っていつ?どこで行われている?


十日夜は旧暦の10月10日の夜に行われる収穫祭です。旧暦の10月10日頃は、育ててきた稲の収穫時期を迎え収穫が行われる頃です。その為、十日夜は「刈り上げ十日」とも呼ばれます。

古来、日本において十日夜を迎える時には、稲の刈り取りが終わり、田の神が山に帰る日とされていました。

田の神とは農耕を行っている民の間で、稲作の状態を見守り五穀豊穣をもたらしてくれる神様だと信じられていました。作神、農神、百姓神、野神等地域によっては色々な呼び名があります。

収穫祭と聞くと日本全国で行われている行事かと思いきや、十日夜を開催しているのは甲信越地方から東北地方にかけての北関東を中心とした範囲なのです。

十日夜は各地で行われている行事が違う!?


十日夜で共通している点は田の神に稲の実りを感謝し、翌年の五穀豊穣を祈願する為にぼた餅等を奉納します。これ以外の行事内容については、各地で行われる事が少し違ってくる様です。長野県では「案山子上げ」と呼ばれる行事があります。

これは普段田んぼに立って作物を見守ってくれている案山子を神様に見立てて、十日夜になると田んぼから引き揚げ、家の土間や庭先に置きます。そして、その年に出来た作物や餅を供えて祀るという風習があります。

群馬県や埼玉県ではその地域の子供達が活躍します。その地域で収穫した稲の藁を使って1本の棒を編み、その先に持ち手となる輪を取り付けた「藁鉄砲」と呼ばれる道具を作製します。

子供達は、この藁鉄砲を持って振り回して地面に激しく叩きつけます。この時一緒に民謡が歌われますが、歌われる民謡は地域によって違いがあります。

この行事の由来は地面の神様に元気になってもらうといった言い伝えがあり、他にも地面に住むモグラやネズミといった作物に害を及ぼす動物を追い払うといった目的もあります。

西日本側にも収穫祭はある!?


東側の十日夜とは対称に西日本側にも刈り上げ行事があります。それは「亥の子(いのこ)」と呼ばれています。亥の子が始まった由来は諸説あります。その内の一つに中国では10月に餅を食べる風習があり、これが日本の宮中行事に取り入れられ、貴族や武士にも広まりました。

それが最終的に農民にまで普及した事が始まりとされています。この時に食べられる餅を「亥の子餅(いのこもち)」と言います。

亥の子(旧暦の10月、亥の日)の亥の刻(午後10時頃)に食べます。餅の表面に焼きごてを使って猪の体の模様を焼き付けた餅や紅白餅、小豆をまぶした餅等、地域色豊かな餅を各家庭で食べるのです。

亥の子は十日夜に似ている点もあります。十日夜では藁鉄砲が用いられていましたが、
亥の子では「亥の子石」と呼ばれる石が用いられます。円形や球形の石の周囲を縄で結び、その縄を子供達が引く事で石が上下し地面に叩きつけられます。

この行事を子供達が一軒一軒各家庭の庭先で行って回ったのです。この行事の後は、その家庭からお菓子やお小遣いが振る舞われました。

しかし、振る舞いが無かった家には悪態の内容を含む歌が歌われました。子供達が一軒一軒家を回る様子を想像すると現代のハロウィンのようですね。

ちなみに、この亥の子が近づく季節になると張り切りすぎる子供が続出し、勉強がおろそかになるという理由で亥の子の行事が衰退していってしまった地域もあった様です。

私たちが普段当たり前の様に口にしている食べ物ですが、今年の十日夜は先人達にならって食べ物の恵みに感謝する事も大切かもしれませんね。

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